• 世羅別館のいわれ
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復興に沸く戦後の広島で産声を上げました

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昔は呉服屋さんだった世羅別館

世羅別館も、昔は世羅旅館と言うとりました。

広島市内でも歴史の長い旅館のように言われとりますが、実は戦後の旅館なんじゃ。もともとは呉服屋だったんじゃが、ご多分に漏れず敗戦で何もかも失ってしもうたんじゃ。

それで、取引先の問屋さんの紹介で、今の三越の裏のあたりに高木屋呉服店として事業を再開したんじゃが、当時の広島は原爆被害からの復興の真っ只中。京都の呉服屋さんが広島に来られても、満足に泊まれるところが少のうての、やむを得ず呉服屋の座敷にお泊めしとったのがきっかけで、旅館を始めることになったんじゃ。だから、世羅旅館は三越裏のアーケード街でスタートしたわけなんじゃ。

昔の並木通り

なぜ「世羅」なの?

世羅という名前は、あの駅伝でも有名な世羅高校のある世羅郡からいただいてな。創業者が世羅郡出身ということで、命名したんじゃ。

昭和32年に現在の場所に世羅別館をオープンし、天満屋裏の世羅旅館、すなわち本館はやがてまた、呉服屋に戻りました。現在は貸しビルになっており、昔旅館があったとはとても思えんなぁ。

 昔の面影がなくなったと言えば、並木通りもそうじゃね。今でこそオシャレな街として知られとるが、一昔前は新川場通り(しんせんばどおり)と言うて、通りの両側に旅館が並ぶ宿場町の雰囲気を持った通りじゃった。小さな川のようなお堀もあったのぉ。

現在では、ホテルとして生まれ変わった旅館や、マンション・貸しビルに転業された旅館も多ゆうて、今でも旅館として営業されているのは2~3軒ぐらいになったんじゃなかろうか・・・。